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船時間 2001/02/25 12:00 日本時間 2001/02/25 10:00
天候 |
bc(晴れ) |
風力 |
6 |
気温 |
28℃ |
雲量 |
6 |
風速 |
12m/sec |
海水温度 |
28.9℃ |
風向 |
N |
気圧 |
1010h |
湿度 |
85% |
有義波高 |
3m |
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船長のコメント |
(たかのつめ)1970年来、東海大学の歴代練習船をお世話戴いている代理店家族の方々が見送りに来られた。アンツ島無人島の話や、氏の土地の土砂砕石場の石がナンマドール遺跡の石の切り方とそっくりという話や、コルサエに先祖伝来の土地がある話があった。えっ?ひょっとしたら?古代大酋長の末裔の方々?お土産(バナナ、マンゴスチン、ドリアン、胡椒等)を沢山戴いた。その中に「たかのつめ」(唐辛子)があった。白菜や刺身に最適との事。昨日18:00ミクロネシア連邦ポンペイ港を出発した。
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団長のコメント |
2月24日 団長のコメント
ポンペイ寄港2日目。天候曇り時々晴れ、今日はボートに分散し待望のナンマドール遺跡見学と、シュノーケリングを行いました。シュノーケリングは危惧していたクラゲも出ず快適。日本では見られないような綺麗な熱帯魚、珊瑚も大きく色々な種類があり大感動。エメラルドグリーンで時には青く、まさに南の島にきたなと実感しました。その自然を堪能しながらの昼食はまた格別、昼食後またボートに分散しナンマドールへ、海洋学部卒業で海外青年協力隊の方に案内してもらい島を見学、石が積み上げられた遺跡やお墓、とても神秘的な気分でした。また、椰子やパパイヤ、パンの実など目のあたりにし、またまた大感動です。
学生の健康状態は3名の学生がナンマドール研修を休みました。ほかにも約5名の発熱者がいましたが、今回ポンペイは、初めての寄港地であり少し熱があっても行きたいという気持ちが強く、無理して参加したようです。
フナフチに向け出発となりました。今日からまた、酔いとの戦いです。
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2月24日 9班当直日誌より(1) |
萱野 大輔 (東海大学海洋学部海洋工学科)
今日は、ポンペイ2日目とうとうこの島メインのナンマドール遺跡にいく事になった。小船に乗り込み出発し途中遺跡のすぐ近くの小島で海中散歩。(最高〜)。その後遺跡にて研修、でも日焼けでヒリヒリ、でも最高の一日だった。明日からもがんばるゾ。
小澤 秀人 (東海大学文学部日本文学科)
今日はナンマドールにでかけました。すっかり日に焼けて、ちょうど日焼け止めを塗り残したところが真っ赤になってしまいました。日焼けは本当に怖いと思います。これからは気をつけようとおもいました。
伊藤 紀夫 (東海大学開発工学部情報通信工学科)
今日は、ナンマドール遺跡の見学と、途中の小島で、お弁当を食べて少しの時間泳ぎました。私は、ゴーグルとか足ヒレを買わなかったので、かなり後悔しました。でも、海もなかなかキレイだったし、行き帰りのボートも気持ち良かったので楽しかったです。
案納 和彦 (東海大学教養学部生活経済学科)
わたしは、外国にきたのが初めてです。昨日、ポンペイに着いたがあまりいろんなところに行けなかったので、少し残念でした。でも今日は、海に出ました。船も気持ちよかったし、海で泳いだのも最高でした。
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2月24日 9班当直日誌より(2) |
久保園 健嗣 (東海大学工学部電子工学科)
今まで海外にいったことはあっても、ポンペイのように観光地ではないところにくるのは初めてで、地域の短大生や現地の人たちと片言の英語や日本語で何とかコミュニケーションをとり、不便ながらも楽しくポンペイを楽しむことができました。
岩船 圭佑 (東海大学法学部法律学科)
今回、初の上陸!みんな楽しんでいる様でした。船酔いからの開放と陸に上がった喜びで大分羽目をはずした人が大半だったのですがそれでもいいような気がします。これからまた長い船旅ですがそれでも楽しめる様に一丸となってがんばっていきたいと思います。
西田 裕明 (東海大学海洋学部海洋科学科)
上陸二日目の今日は、天気も良く、目に入ってくるもの全てが新鮮に感じられ、とても素晴らしい体験ができました。日本とは違う国の自然や文化などに触れられて、このような機会を私に与えてくれた全ての人に感謝したいです。ありがとう!
ゲイゼ アントン (東海大学別科日本語研修課程)
私にとって日本で勉強している留学生としてこの船の旅行は本当に貴重な機会を与えた。船内のかなり難しい生活にもかかわらず一番大事なものは異文化の人々と知り合ってまったく私の経験ではないことを感じられた。一週間ぐらい日本人の学生と一緒にいっぱいはなしてほんとうに楽しかった。そのことだけじゃなくて、ポンペイと言う島で一日目にミクロネシア短期大学の学生に訪問をしてもらって、面白い現地人の人と知り合って話し合った。その結果でロシアから大変離れている島にロシア人が住んでることがわかった。私にとってここで母国の人とあうことはぜったい考えられないことだった。こんど寄港する島でも同じような素晴らしい出来事がおきてくれる事を望んでいる。
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