第36回 海外研修航海
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 日本からやや南々東へ真っ直ぐ進み、赤道を越えてさらに南下すると、細長いフランスパンを斜めに置いたような島ニューカレドニア島がある。右下端に首都のヌーメアがある(概位22-16S、166-27E)。
 
 西洋史によれば、1774年9月4日、英国のキャプテン・クックが発見しニューカレドニアと名付け、その後1873年9月24日、フランスのダスブアント提督がバラデの松の木の側にフランス国旗を掲げ、爾来今日に至るまでフランス領になっている。
 
 沖合には世界有数の美しい灯台として有名なアメデ灯台があり、ナポレオンIII世の時代に作られ、後にパリにエッフェル塔を作る時のモデルにされたといわれている。
 
 昭和初期、まだ日本が貧困だった頃、多くの日本人がニッケル鉱山等の重労働者として出稼ぎにやってきた。やがて太平洋戦争が勃発し日本に帰れなくなった。終戦後しばらくして北海道大学練習船北星丸が入港し一般公開された。望郷の念にかられた多くの日本人が訪船した。その中に親に手を引かれた小学生がいた。
 
 無謀にもその小学生は「自分の祖先は日本人」という情報だけで、日本に単身やってきた。最初函館に着き、周囲の人は驚きニュースになった。北大や新聞社や役場の人々が捜したが見つからなかった。やがて熊本にいるらしいという情報が寄せられた。
 
 熊本でも大騒ぎになり、地元新聞社の方々が捜した。そして八代市にいると分かったが求める人は亡くなっていた。
 
 傷心の想いで帰国し、後に日本・ニューカレドニア友好協会や日本人協会を作った。以来日本の練習船が入港する度歓迎してくれる。研修航海でも今度で8度目の入港となる(6回1974、13回1981、17回1985、20回1988、22回1990、29回1998、33回2002、36回2005)。
 
 現在の若者は3世4世5世の時代になり、混血が進み自分に日本人の血が流れているという意識は希薄になっているらしい。それでも日本人会の方々は、第36回海外研修航海の皆様方の望星丸でのヌーメア入港を指折り数えて楽しみにしておられる。
 
 
東海大学
海洋調査研修船
望星丸
船長/荒木 直行
 
 
 
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